忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

計算するまでもない問題・その1~数学的証明に潜むあいまいさ、そして出題に隠された政治的意図~

受験(特に大学)の数学では、証明問題が多くなり、単純な計算問題は、
相対的に少なくなってきます。

なので、(受験)数学においては、証明は重要な課題というか、テーマとなってきます。


ところが、この「証明」。一体どこまでやればいいのでしょうか?

12世紀のインドの数学者バスカラは、三平方の定理の証明において、ただ図を描いて
文章は「見よ」とだけしか書かなかったことは有名です。

実際の(受験)数学においても、バスカラと同様に「見よ」とか「自明である」とか書けば、
それで「証明」は終了ってことでいいんでしょうか?

どうもこのあたりには、あいまいさが潜んでいるような気がしてなりません。

「○○を証明せよ」という問題が出題されたら、どこまで証明すればいいのか?

これがあいまいだと、個人的には思うわけです。



ところで、数学の問題の中には、基礎的な知識さえあれば、計算するまでもない問題が
存在します。
今回例に挙げるのは、2019年のセンター試験の「数学I」の、第4問の(4)です。
具体的にどういう問題なのかは、↓を参考してください。

https://www.asahicom.jp/edu/center-exam/shiken2019/pdf34MQhg2kGR/suugaku1_04.pdf


内容は統計に関する問題で、「モンシロチョウとツバメの初見日(2017年)の散布図」が
どうのこうの~というものです。

このうち、[カ]、[キ]は、

 統計データを正規化すれば、そのデータの平均は0、分散は(標準偏差も)1

という、統計に関する基本的な知識があれば、(0)の0、と、計算なしで答えが出ます。
そして[ク]も、計算なしで(1)の1、と答えが出ます。

次の[ケ]の問題は、4つのグラフから、正規化したデータがどれなのかを答える内容となっていますが、

 
という、これまた統計に関する基本的な知識があれば、正規化したグラフは、
元データと見た目が同じような点の集まりで、なおかつ最大値が標準偏差の1より
大きいことが容易に想像できるので、一瞥して(2)、と答えが出ます。


僕は、この問題の存在を、YouTubeで数学の問題の解説をしている動画を観て
知ったのですが、その解説者は、この問題を【良問!】と絶賛していました。
(その方の名誉のために、リンクは張りません)

 …統計の知識があれば、何の計算もなく解ける問題が、良問?

と僕は思いましたが、まあ、感想は人それぞれなので、その辺はいいでしょう。


これはセンター試験で、マークシートで回答するので、途中の証明のプロセスは
筆記する必要がありません。
なので、この解き方でも全く問題ないと、僕は思います。


しかし、これが記述式の問題だったら、どうなのか? どこまで「証明」すればいいのか?
という疑問が生じます。
個人的には、上で説明した「統計に関する基本的な知識」をサラッと書いておけば、
それで充分だと思います。
だって、一般的には、数学の証明問題で、「三角関数の加法定理」とか
「合成関数の微分の公式」とか、いちいち証明した上で使ったりしないでしょ?

それは、「数学を勉強してきた人は、そのくらいは知っているだろうから、
自明であるとして断りなしに使っても問題ない」という、暗黙の合意
(数学らしくない、あいまいな合意だと思いますが)があるからでしょう。

だったら、それを統計に適用しても、何ら問題ないはすだ。そういう考えです。

もちろん、初学者に対しては、「なぜそうなるのか?」を論理的に納得させるために、
数式を変形・計算した丁寧な証明を示す必要はあると思います。



以上で「計算するまでもない問題」自体の話は終わりです。ただこの出題については、
もう一つ言いたいことがあります。それは、

そもそも、なぜセンター試験で統計の問題が出題されるようになったのか?

という問題です。


昔センター試験(に限らず、入学試験)を受けた経験のある方ならご存知かと思いますが、
昔は、統計分野の問題は、出題されることは、まずありませんでした。
なので、受験生も、統計分野の勉強はしていませんでした。
せいぜい、平均値や分散、標準偏差の定義の式を覚えるくらいでした。

ところが、「ある時期」から、統計に関する問題が、盛んに出題されるようになりました。
具体的に言うと、2010年代以降です。

僕の知っている例だと、大学入試に限らず、神奈川県の公立高校の数学の入試問題にも、
「ある時期」から、統計に関する問題が出題されるようになりました。


この時期については、僕は心当たりがあります。それは、


という本が出版された後、ということです。


特に「子どもが減って何が悪いか!」はインパクトが大きく、内閣府男女共同参画局が、
OECDの統計データ(出生率と女子労働力率)を、自分に都合のいいように捏造した
疑いがあることを、赤川氏自身が統計データを再処理することで示しました。


最近、厚生労働省が各種の統計データを捏造したということで、ニュースになっています。
これに対して、例えば、評論家の三橋貴明氏は、自身のブログで

“官僚が不正統計を行い、官僚がチェックし、「組織的隠ぺいはなかった」と一方的に結論付ける。
組織的な隠蔽があろうとなかろうと、統計不正は重大な国民への裏切りです。
しかも、厚生労働省が不正調査用の「マニュアル」を作成しておきながら、組織の関与を否定する。
頭がおかしい、としか表現のしようがないのが、現在の我が国です。”
  ポスト・トゥルース(中編)
  https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12435341587.html

と述べていますが、その“重大な国民への裏切り”が“我が国”において“現在”に始まった
話でないことは、この種の問題を扱ったことのある人なら「常識」に属する知識で、
彼ら(お役所)が「結論ありき」でデータを捏造してきた前科があることは、
周知の事実です。

「政治の話は扱わない」と以前書きましたが、それでも僕は、かつて
フェミニズム批判をしたことがありました。
それはなぜかと言うと、三橋氏の述べる通り、その種の捏造が
“重大な国民への裏切り”だからです。

というか、嘘つきに「お前は嘘つきだ」と指摘して批判するのは、
ただの事実の提示であり、「政治の話」以前の問題だと、僕は考えます。


話を戻しましょう。それでは、

    なぜセンター試験で統計の問題が出題されるようになったのか?

…おっと! これ以上は政治の話になってしまうので、これ以上のことを書くかどうかは、
後でじっくり考えたいと思います。




最後に、彼ら官僚たちのように、邪な動機で科学を濫用しないための反面教師として。

アラン・ソーカルの「「知」の欺瞞」は良著だと思いますが、内容を理解するのに、
物理学や数学基礎論の知識がある程度必要になり、難しすぎるので、
あまりお勧めしません。


は、高校生くらいでも、知識欲が旺盛な人なら理解できると思うので、おすすめです。
PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

忍者カウンター

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

プロフィール

HN:
PascalChan
性別:
男性
趣味:
引きこもり

バーコード

ブログ内検索

P R